2016年1月30日土曜日

息子の重さをしみじみ味わう、にんげんのおかあさん

雨や雪などの天気が悪い日の子連れのお出かけは、一苦労だ。

普段はベビーカーで出かけているが、久しぶりに抱っこ紐を使って出かけた。1歳10ヵ月の息子は、12キロくらいある(1歳半検診以降計っていないので、おおよそ)。生まれた時が3キロちょっとだから、4倍になっているのだ。どうりで重いはずだ。

エルゴの抱っこ紐は、肩にに食い込み腰にかかる負担もかなり増している。背中には、リュックを背負う。息子の着替えやオムツ、昼ご飯やおやつ、二人分の水やお茶も入っている。前後から重さが容赦なく襲ってくる。

コートを羽織り、傘をさして歩いていると、この寒さの中でも汗ばむくらいだ。家のまわりは坂道が多いので、息子を抱っこし上っていると登山をしているような気分だ。

そんな苦行の中、ふと息子の顔をのぞいてみると、妙にうれしそうな顔をしている。抱っこされて暖かいせいか、ときどきうとうと寝ている。私の心音を聞くと安心するのだろう、耳を胸につけていつの間にかすやすや眠る。

こんな姿を見ていると、赤ちゃん時代にタイムスリップしたかのようなうっとりした気分になる。

「あっという間に、抱っこなんかさせてもらえなくなるよ、今のうちだよ! 」という、先輩ママの言葉を思い出す。そう、今のうちだ。

最近の息子は、甘えん坊が加速して「ママ、ガッコー(抱っこ)、ギューッて!」と言って、毎晩私にくっついて眠らないと気が済まない。私が隣に寝ているだけではダメで、後ろ向きで抱きしめてやらないと、泣き叫んで寝ない。うんざりする。私はなかなか寝返りもうてず、ぐっすり眠れないのだ。

そんな息子の抱っこしてほしい気持ちに寄り添う絵本が、わが家にやってきた。
まだ息子が赤ちゃん時代に図書館で借りて気に入っていた一冊だったのだが、夫が古本屋で見つけてきてくれたのだ。『どうぶつのおかあさん』(福音館書店)に出てくる動物の名前も、今ではもうほとんど言えるようになった。ゾウが出てくるページでは、お気に入りのパオーンちゃん(ゾウのパペット)を抱きしめながら見ている。
私は、この絵本に出てくる動物のお母さんのマネをして、ネコのように首根っこをつまんでみたり、ライオンのようにパクッと頭にかぶりつくマネをしたり、コアラのようにおんぶしてみたりして、息子とじゃれあって遊ぶのが好きだ。

にんげんのおかあさんも、どうぶつのおかあさんも、根本的にはそんなに違いはないようである。

私は、りりしい顔をした絵本のなかのおかあさんの姿に、ページをめくるたびに励まされている。抱っこ紐もベビーカーがなくても、なんとかなる。いざとなれば、この身ひとつさえあれば、子どもを抱きかかえ、おんぶし、安全なところまで命を運ぶことができるのだと。




2016年1月28日木曜日

カンタン過ぎて怖いマフィン

菜種油を使ったカンタンなマフィンレシピがないかなと思い、偶然たどり着いたのが、料理レシピ検索サイトの「クックパッド」で、見つけたリコさんのバナナマフィンのレシピ

私は、1歳10ヵ月の息子のおやつにしたかったので、砂糖はてんさい糖を使い30gにした。ベーキングパウダーも小さじ1に変更した。黒くなったバナナではなく、黄色いバナナを使うとねっとりした甘さではなく、爽やかな甘さで美味しかった。リコさんの言うように、軽くてもっちりした食感が楽しめた。バナナとてんさい糖だけでもけっこうな甘さがあったので、メープルシロップは大さじ1か、なくてもいいかもしれない。

このレシピの最大の魅力は、ただ書いてある材料順にボールの中で混ぜて、焼くだけという恐ろしいほどにカンタンなレシピだったことだ。これならば、育児の合間にパパッと作ることができる。当然、洗い物も少なくて済むので、やる気がわく。

このレシピを応用して、家にある食材で何か別のマフィンを作ってみようと考えた。
具材は息子の好きな、サツマイモと缶詰のコーンを使った。甘すぎない軽食っぽいマフィンが作りたかったので、塩とコーンミールを加えてみた。コーンミールはスコーンを作る時に使っているもの。

<サツマイモとコーンのレシピ>マフィン型で6個分作れる
●材料
砂糖30g
牛乳120cc
菜種油大さじ2
薄力粉130g
コーンミール(コーングリッツ)30g
塩ひとつまみ
ベーキングパウダー小さじ1
缶詰コーン小さじ5~6
サツマイモ(私は蒸したものを使った)2切れ分を食べやすい大きさの角切りにする。飾り用に少し残しておくとよい。

●上記の材料をボールに順に入れヘラなどを使って混ぜる。具材を入れたら練り過ぎないようにさっと混ぜ合わせる。マフィン型に7分目くらい入れて、飾り用にとっておいたサツマイモを上にのせ、180度で20分程度焼き色がほんのりつく程度に焼く。竹串をさしてみて生地がつかなければ完成。











2016年1月27日水曜日

あの空を見たかい?

今日は久しぶりに暖かい冬晴れの一日だった。

駅からの帰り道、ランドセルを背負った下校中の小学生が5人ばかり群がっていた。「あれ、何だろうな? 」などと言って、空のほうを指さして騒いでいた。

その指の先を見ると、真っ青な空に白い雲の基地のようなものが見えた。その基地の割れ目を見つけて「おい、これすげーことになるかもしれないぞ! 」と言って興奮している子もいた。

その雲の基地からは、太く大きな白い龍のような雲が私の家のほうまでずーっと長く続いていたのだった。私はそちらのほうに驚いた。

道行く人に、「あの空を見たかい? 」と聞いて歩きたくなるような、見事な空だった。

私は息子に「龍みたいな雲だね」と話しかけながら、ずっと空を見ながらベビーカーを押していた。

子どもたちが、そんな風に、空のことを気にかけ、想像をふくらませて盛り上がっている姿を見て、私はうれしい気持ちになった。スマホやゲームを手にしている時には見られないであろう、晴れ晴れとした無邪気さがそこにはあったからだ。

そういえば、今日の朝、もうひとついいことがあった。

息子と電車に乗っている時に、坊主頭のちょっとぽっちゃりとした高校生の男の子が、息子のことをふんわりとしたやさしい眼差しで、見てくれたのだ。声をかけるわけでもなく、手を振るわけでもなく、ただやさしく見守ってくれていた。もしかしたら、小さな弟さんでもいるのだろうか?

息子はそのお兄ちゃんの視線には気づかずにいたが、私にはじんわりとその男の子のもつ温かさが伝わり、胸がジンと熱くなった。






2016年1月26日火曜日

のりものいっぱい!

男の子という生き物は、誰もしむけたわけでもないのに、なぜか「のりもの」にハマる。電車が通過するときのガタンゴトンという音に、両手を振りあげて興奮し、長く連結した電車の車両がホームに入ってくるのを見ては喜ぶ。バスの降車ボタンをやたらと押したがり、止まっているカッコイイ車にすり寄る・・・・・・数え上げたらきりがないが、「のりもの」には、男の子を惹きつける魔力があるようだ。

友人にもらった柳原良平さんの『のりものいっぱい』という絵本は、そんな息子の心にぴったりとフィットしたのだろう、もう何度読んだかわからないほどだ。

同じ山手に住むご近所の作家でもあった、柳原良平さんの描く「のりもの」は、紙を切り張りしたもので、キョロッとした目がついているのが特徴だ。シンプルながらも色の配色で、それぞれの「のりもの」の要素をしっかりとらえているので、息子は、すぐに「のりもの」の違いを理解し、名前を一気に覚えてしまった。

息子が一番好きなのは、しんかんせん。ほーぼーしゃ(しょうぼうしゃ)、きゅーきゅーしゃの名前もこの本のおかげで覚えられた。レール(モノレール)タンカーなどもお気に入りの様子。絵本の中に出てくる丸坊主の男の子を私が指さすと、「こうくん!」と自分の名前を言うのもおもしろい。絵本の世界の主役は、もしかしたら「のりもの」ではなく、自分なのかも?

「のりもの」は、運転してみたいという欲求をかりたてる道具でもある。たまひよごっこあそび絵本というのがあり、息子もひとつ持っている。ハンドルがあり運転ごっこが楽しめるものだ。30種類の音やボタンあそびができるという。ピーポーピーポー、ウーーなどのサイレン音が大人にとってはうるさくもあるが、ボタンを押したり、いたずらっぽい遊びも好き放題にできるので、時々やる分にはいいのだろう。


2016年1月25日月曜日

朝焼け目覚ましと、息子の寝言

寒さが一段と厳しくなってきた。暖房を入れていないわが家の台所の今朝の気温は5度であった。どうりで寒いわけだ。

寒さと疲れのせいもあり、ここのところ毎晩9時か10時頃には息子と一緒に眠ってしまってる。目覚ましをかけないでいると、平気で朝の9時頃まで爆睡してしまうほどだ。

ヨガの先生からは、陰の気が最大になる冬は、何よりも早く寝ることが身体の健康のために良いと教わったが、私は知らず知らずのうちにそうしていたと、自分の朝寝坊を肯定的に認めてやることにした。

写真はわが家の寝室のカーテン越しに見える朝焼け。庭の木々のシルエットが浮かびアートのように美しい。

カーテンを美しく染めあげるこのオレンジ色の光のシャワーに、6時半から7時頃にかけて自然と起こされてしまうのだ。でも、強制的に起こされる目覚まし時計のけたたましい音とは違い、こちらの朝焼け時計は、「朝だけど、疲れているならもうちょっと寝ててもいいよ」と、やさしく包み込んでくれるような包容力があるので、ありがたい。

そうそう、最近は息子の変な寝言に起こされることもよくある。たとえば、こんな感じだ。

「いなない(いらない)」
⇒寝ていてもイヤイヤ期らしく、しかめっつらで何かを拒否している。

「トーマス」
⇒最近よくやっているパズルのことだろう。

「こーくんもー」
⇒何かやりたいことがあるようで、自分の名前を言いながら泣きそうになって叫んでいる。

「ママー!!!」
⇒こちらは、定番。隣に寝ていても絶叫されるので怖い。

「おんせん、はこね」
⇒去年行った、箱根の温泉旅行の夢でも見ていたのか?



2016年1月23日土曜日

アーティスト気分になれちゃう、お絵かきの技!

1歳10ヵ月の息子は、最近お絵かきに目覚めた。
これまでも、ちょこっとクーピーを持って描いてはいたが、自分から「えーかく!」と言って画用紙を催促するようになったのは、初めてだ。

とは言っても、まだこの年齢では線を引っ張るくらいしかできないので、絵を描いているという感じではない。完成したものは、ペンの試し書きをしているようにしか見えないのである。

もうちょっと、サマになる作品にならないかな~と思って、家の中を見回していたら、クリスマスにプレゼントでもらった小さな色折り紙があったことを思い出した。

息子は、シールが好きなので、貼る作業はできそうだ。

私が適当な色を選んで、マル、サンカク、シカク、ハートなどいろいろな形を切って、のりをつけた状態で、「これ、すきなところにはって」と渡すと、ちゃんと画用紙の上に自分で貼ったのである。切り抜いた後の折り紙も、貼ってみるとなかなか楽しい。大人の頭では考えつかないようなところに重ね貼りもするので、「そうきたか!」という驚きもあって面白い。

画用紙は4等分に切ったくらいのサイズがちょうどよい。なぜなら子どもは次々と新しい紙を欲しがるからだ。また、大きすぎると作品としてのまとまりにも欠け、作品を飾るのにも場所をとる。画用紙のとがった角を丸く切り落としてあげると、小さい子どもが持って遊んでも危なくないのでオススメである。

白い画用紙にそのまま折り紙を貼ってもいいが、お絵描きした上に折り紙を貼るのも面白い。ママと子どもが一緒になって楽しめて、アーティスト気分が味わえる。

日付やメッセージなどを添えて、グリーティングカードにしてもいいし、おやつを食べる時のランチョンマット代わりに使ってみてもいいだろう。

写真の左下の花の絵は、私の作品だが、その他は息子が絵を描き折り紙を貼った作品である。


2016年1月22日金曜日

魔の2歳児、前夜

息子は今年の3月で2歳になる。ついこの間生まれたばかりだと思っていたが、あっという間に“魔の2歳児”と言われる嵐の季節に入ろうとしている。

すでに“前夜的期間”に入ったのだろう、自分の思う通りにいかないと「キーーー!」と奇声をあげ、親を叩いたりする。

最近は、おまるでおしっこをするのも、お風呂に入るのも、歯磨きをするのも、一度はやらないと首を振って嫌がり、「じゃ、やらなくていいよ」とこちらが言うと、やっぱりやる~という感じで怒ってひと暴れする。いわゆるアマノジャクというやつだ。

先日公園へ遊びに行った時にも、「かえる」と言ったのに、帰っている途中で「だい(すべりだい)いく~」と叫んで、道で地面に座り込んで泣いて手がつけられなくなった。ベビーカーを持っていなかったので、私が力づくで抱えて帰ったのだが、息子は泣き叫んでいるので私はまるで誘拐犯のように見られていたのではないだろうか。

遊びに行くのも行きはよいよい、帰りは怖い。帰るタイミングというのは、本当に難しいなと思う。寒くなければ、もうちょっと長く遊びに付き合ってあげてもいいが、大人も冷え切ってしまう寒さだ。ごはんの支度もあるし、なかなか付き合いきれない。

写真は、息子が滑りたいと泣き叫んだ、近所の滑り台の頂上部分。パパと一緒に思う存分遊べたので、このニコちゃんマークのような、いい笑顔が見れた。






2016年1月21日木曜日

サル年、一発目に読んだヨーコ先輩のエッセイ

絵本『100万回生きたねこ』の作者として有名な佐野洋子。
私は太陽のほうのヨーコであるが、同じ名前の太平洋のヨーコ先輩の歯切れの良いエッセイに、これまで何度身をよじって笑ったかわからない。

昨年、神奈川近代文学館で行われた「まるごと 佐野洋子展 ―『100万回生きたねこ』から『シズコさん』まで―」展を観たときに、最新刊として並んでいた『私の息子はサルだった』(新潮社)という一冊の本が気になっていた。これまでにも、息子さんの子ども時代のことは、いろいろ書いてきたヨーコさんだったが、「自分のことを書くのをやめてほしい」と言われ、ひそかに書きためていたエッセイだそうだ。

買ってしまえばすぐに手に入ったのだが、ぐっとこらえて長蛇の順番待ち覚悟で図書館で予約をした。年をまたいでサル年一発目に読むことができた。そして、開いた手を止めることなく、一気に全部読みほしてしまった。

はなやかな過去 あたり セブーン 目から鼻に抜ける あ、あっあ エイ君の タニバタさん モグラのキンタマ よっちゃん 親友同盟 チョコレートバー フウテンパア 十三歳 点滴 青春しちゃった サントリーオールド

これらは、目次のタイトルなのだが、これを見ただけでもそそられてしまう。

私は、『私の息子はサルだった』の本のタイトルにも由来してるエッセイ、「モグラのキンタマ」というのが一番好きだった。小学生の息子であるケンが、同じ女の子を好きになった親友でライバルのモグラノのキンタマ(すごいあだ名だ)と一緒に遊んでいて、大好きなタニバタさんを家に呼ぼうということになる。母親であるヨーコさんは、タニバタさんが来てサルのように浮かれ狂う息子たちを見守っている話だ。

タニバタさんが引っ越して転校してしまうことになり、大好きなタニバタさんに自分の写真を渡したいという息子の応援をする「チョコレートバー」というエッセイも好きだった。

幼稚園、小学校、そして思春期に入っていく息子とそれをとりまく個性豊かな友人たちと、母親であるヨーコさんの会話のやりとりの変化がおもしろい。子ども特有の息づかい、落ち着きのなさ、無鉄砲さ、アホさがあふれていて、でも純粋で、けなげで、読んだ後はなんとも言えない気持ちになるのだ。

ヨーコさんの息子で表紙の絵も描いているケンこと広瀬弦さん側からすると、ウソもまじり大げさに書かれている部分も多々あるようだが、ヨーコさんのフィルターを通した弦さんの子ども時代を、よそのおばさんである私が、こうして追体験するかのように文章を通して味わえるのは、なんとも幸せなことである。

うちの息子も、この本のケンのように、やっぱりサルになっちゃうのかな~と苦笑いしつつ、息子の色恋ざたにいつか首を突っ込める日を心待ちにしている私がいる。








2016年1月19日火曜日

二人目ラッシュに揺れる、オンナゴコロ

世の中は、某アイドルグループの解散騒動、生番組での謝罪などを受けて、あっちこっちで好き勝手な事を言って盛り上がっているようだ。

ニュースで報道されるような大騒動にはならないものの、子育てをしているママの周りでは常に小さな騒動が起こっている。

そのひとつが“二人目ラッシュ”と言われる騒動だろう。

私の数ヵ月前に一人目を出産した先輩ママたちが、昨年の夏から冬にかけて一気に2人目ラッシュに突入した。大きなお腹をかかえて、ちょろちょろ動きまわるようになった上の子を連れて、買い物や公園へ行く姿をたびたび見かけた。

子どもたちの集まりなどでちょっと見かけない時期があり、久しぶりに会ったと思ったら、もう臨月状態で、「え~いつの間に!!」という感じなので、あっけに取られてまう。

今までは若めの先輩ママの二人目ラッシュだったので、まだ衝撃は少なかったが、年齢も近い一番身近なママ友にも二人目ラッシュの波が押し寄せてきたので、「おぉ~ついにここまで来てしまったか!!」と、一気に現実を突き付けられ、「乗り遅れにご注意ください、ドア閉まります!」という車掌さんの声と発車ベルが高々と鳴り響く音が聞こえたような気がした。

若いママは体力があるので、一人目の子育ても落ち着かないうちに、さっさと二人目のことを考えられるのだろうが、私のように高齢出産で一人目を産んでいるような場合、いろいろと考えてしまい二人目に踏み切れないという話をよく聞く。

子育てをしていく体力があるのかどうか、出産や育児にはまとまったお金も必要になるので、経済的な不安や住環境などの問題もあるのだろう。

そんなことを先輩ママに話すと、だいたい「そんなこと考えてたら、いつまでたっても子どもなんて産めないよ、勢いだからね」などと一喝されてしまう。いろんな準備が整ったら、産むのかと言われると、たしかにそうでもない気がする。

私の場合、一人っ子でかわいそうだから二人目を産むという考えは一切ない。そこらへんに子どもはいっぱいいるのだから、なにも“きょうだい”という血のつながりにこだわる必要もないし、きょうだいのように友達と仲良く遊べば寂しくはないじゃないかと思うくらいだ。

親としては一人っ子のほうが、じっくり子育ての過程を楽しめていい気もするし、ケンカや争い事も少なく済むかもしれないなどと考える。

なのに、産むべきか、産まざるべきか・・・・・・の間を行ったり来たりしてしまう。

幸せだった妊婦時代のマタニティウェアは名残惜しくて捨てられず、息子のかわいかった赤ちゃん時代を思い出し、ニヤニヤしてみたり、もし、次は女の子だったらなどと、あれこれ妄想したりしてしまうものなのだ。

”産める機能”が残っているオンナ”というのは、欲深く、厄介な生き物なのである。

冒頭の写真は、先日雪が降った時に私が作った雪うさぎ。今は三人家族なので3個作ったのだが、今朝起きてみたら、葉っぱと赤い実だけ残して、お盆の上は水たまりだけになってうさぎは姿を消していた。なんともシュールな絵であった。


家族は一人でも、二人でも、三人でも、四人でも人数に関係なく立派な家族なのだ。溶け合えばすべてひとつで、家族というかけがえのない時間を共に過ごす、小さな共同体(サークル)に過ぎないのだろう。











2016年1月18日月曜日

橙(だいだい)を、もてあそぶ男

母の友人の家に、毎年たくさんの柑橘が実るという。
食べきれず、持て余して困っているというので、紙袋いっぱいにおすそ分けしてもらったそうだ。

それが、わが家にもやってきた。その柑橘とは「橙(だいだい)」のことだった。
果実は冬に黄色く熟すが、実をとらずにそのままにしておくと、また緑色の実に戻ることから「回青橙」との別名もあるそうだ。

橙(だいだい)の語源は、代々(だいだい)であり、お正月飾りとして餅の上に飾られるのも、代々栄えますようにという願いが込められている。

皮が固めで、子どもの手では剥けないので葉を取ってしばらく遊ばせることにしてみた。机の上に置いてあったものを、「みかん、みかん」と言って抱き取った息子は、床に転がしていたかと思うと、一列にきれいに並べはじめたのだ。

へたの凹みのところ同士を重ねると、雪だるまのようにすることもできる。

鍋の日の夜には、この橙の数が少し減ることもある。果実を絞ってポン酢にするのだ。
甘いものが食べたくなったら、また橙の数が減るかもしれない。皮と果実でジャムを作るからだ。

橙の色で連想するのは、私にとっては電車の東海道線の色だ。
先日、山下達郎のコンサートで大宮駅まで行った時には、東海道線に似た配色をしたかわいらしい「カエルポスト」を駅構内で見かけることができた。大宮駅開業120周年を記念して設置されたものだという。



2016年1月17日日曜日

恐怖のブォーンちゃん、克服への道

こちらがわが家の必需品、愛称は「ブォーンちゃん」こと掃除機である。

以前、夫が使っていた古い掃除機が壊れて一昨年買い替えたた2代目だ。このブォーンちゃんは、「TWINBIRD」というメーカーの、スティック型クリーナー。別メーカーのコードレスタイプにも惹かれたが、値段の安さとタフさと吸引力を考えて、コードありの掃除機にした。

サイクロン式の掃除機を自宅で使うのは、初めてだったが「こんなにとれるのか!」とゴミが目に見えるのがうれしく、これまで以上に達成感を感じられるようになり、掃除機がけが好きになってしまった。ゴミを入れる袋もないので、水色のケースにたまったゴミをサッと捨てられるのも気持ちがいい。

私は、掃除機の「ブォーンちゃん」を毎日かけたくて仕方がないのだが、息子にとって掃除機の時間は恐怖なのである。赤ちゃんの頃は、掃除機の音を聞くだけで泣いていたが、最近は部屋の隅でぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、恐怖を感じながらもじっと見つめて耐えている。掃除機中は、空気が汚れるので夫がいる時には、2階の部屋に連れて行ってもらうこともある。

同じような音がするもので、息子が苦手なのは、公共のトイレに設置されている手を乾かすジェットタオルだ。あれも、掃除機と同じようなブォーンという音がして、おまけに風も出てくるので恐怖なのである。私が使うとあからさまに嫌な顔をする。

でも、掃除機はこれからもずっと使うものなので、慣れてもらわないと仕方がない。なので、ちょっと嫌がろうと怖がろうと、私は平気で掃除機をかけることにしている。

掃除機が終わりゴミを捨てる時に、息子を呼び寄せて「ブォーンちゃんが、こんなにゴミを吸ってくれたよ。おへやをきれいにしてくれたから、いい子いい子してあげて」と言うと、息子はちょっとへっぴり腰になりながらも、掃除機のブォーンちゃんの頭をそっとなでてくれる。

苦手だけれども、嫌いではないようである。

その証拠に、洗濯物をかけるハンガーを掃除機に見立てて、ブォーンなどと言いながら部屋を掃除していることがある。掃除機をやってみたい気持ちもしっかり育っているのだ。

掃除機嫌いな子は結構多いと聞くが、聴覚過敏などでない限りは、しだいに慣れていくものだと思うので、そんなに心配しなくていいのだろう。気長に慣れるのを待つしかない。



2016年1月16日土曜日

超一流な歌のお兄さんに逢いに行く

山下達郎のデビュー40周年を記念したコンサートツアーが昨年秋から年をまたいで春まで行われている。(※セットリストのネタバレが少々ありなので、まだコンサート行っていない方はご注意ください。)

夫の影響で私も結婚して以来、コンサートに足を運ぶようになった。夫は昨年の神奈川県民ホールでひと足先に観ていたのだが、私の分のチケットがなかなか手に入らず、ようやくツアー折り返し地点の33本目にあたる、1月15日の大宮ソニックシティーホールでのコンサートに行くことができた。

前回、2014年に行われた通称マニアックツアーの時は、息子はまだ生後5ヵ月くらいだったため、私はライブ中におっぱいがパンパンに張ってしまい、途中トイレで乳絞りをして慌ただしかったのだが、今回は夫に息子を預けてゆっくりと達郎さんの音楽に向き合うことができた。

大宮までの移動時間が往復約3時間、ライブが約3時間半なので、ちょっとした小旅行という感じであった。さすがに、座りすぎておしりが痛くなったが、行くまでの高揚感と帰りの余韻も含めて私にとっては今までで最高のライブ体験となった。

昨年発売された、シュガーベイブの40th anniversary ultimate editionの『SONGS』を、息子とよく聴いて、中でも特にポップなサウンドの『SUGAR』の虜になってしまった息子は、毎日のように狂ったように聴いて踊っていたため、1歳10ヵ月になった今ではちょっと歌えるくらいになってしまった。息子にとって達郎さんは、“憧れの歌のお兄さん”的存在となっているのだ。

私も息子のおかげで、これまでにないくらい、昨年は達郎さんの曲を浴びるように聴いたので、今回のコンサートは音と歌詞が身体の隅々までビンビンに届いて、本当に気持ちの良い至福の時間となった。

また、今年に入ってから私が夢中になって聴いていた、フォーシーズンズだが、リードボーカルであるフランキー・ヴァリのヒットナンバー『君の瞳に恋してる』のカバーを、達郎さんのコンサートで生で聴くこともできた。偶然のめぐり合わせの妙に、天を仰いで感謝せずにはいられなかった。

バックミュージシャンの肉厚なサウンドに乗せられ、上昇気流に乗ってどこまでも高く遠く、飛んで行ってしまいそうな、達郎さんの歌声を会場の人達と共に思う存分に味わい、踊り、拍手を送り、今年一年分のガソリンが満タンになったかのような、大きな励ましと力をもらった。

超一流な歌のお兄さん、今年もどうもありがとう!
そして、このコンサートを私にプレゼントしてくれた夫にもありがとう!






2016年1月15日金曜日

滑り台とトラウマ

滑り台は、1歳10ヵ月の息子の好きな遊具のひとつだ。
公園にある遊具は、だいたい対象年齢が3歳以上のものが多いので、一人で滑らせるには危なっかしい。なので、親の補助が必要になる。

低めの滑り台なら、ちょっと手を伸ばして階段と滑り台の下で補助してやれば、自分一人で滑れるのだが、高い滑り台だと親も一緒にのぼって滑らなければいけない。

私は小学生くらいの頃に田舎のアスレチックにある、高い滑り台をすべろうとして丸太の階段を上ったのだが、途中で怖くなって降りようとし、階段を踏み外して落ちてしまったことがある。頭にたんこぶをつくったくらいで済んだのだが、それがトラウマになってしばらく滑り台から遠のいてしまった。

あまり怖がらないタイプの息子は、かなり高い滑り台にもチャレンジしたがる。私もしょうがないので、付き合うのだが、かなりおっかなびっくり、両足でストッパーをかけながらゆっくり滑りおりる。ローラーコースタータイプの滑り台は、私の体重でスピードが加速されてしまうので、注意が必要である。

でも、回数を重ねるうちに私もだいぶ過去のトラウマを癒すことができてきた。最近は、高くてもそんなにスピードが出過ぎないお気に入りの滑り台もみつけることができた。

子育てをしていて、子どもの頃の遊びをもう一度追体験できるというのは、貴重だなと思う。大人一人で滑り台を何度も滑っていたら白い目で見られてしまいそうだが、子どもが一緒なら思いっきり楽しめる。

滑り台もブランコもそうだが、子どもの遊具には頭を空っぽにしてくれる作用があり、風の冷たさや速さや高さを全身で感じ取って、いつもと違う風景を見ることができるのが魅力だろう。

単純さと繰り返しの遊びの中に入り込み、時間を忘れて夢中になれることは大人になっても快感である。


2016年1月14日木曜日

羊毛アートで季節を彩る

息子と親子教室に通っているシュタイナー教育を行っている幼稚園では、毎回母親は、先生から何かしらの手しごとを習う。

羊毛を手でちぎって、薄く伸ばして絵を描くように色を重ねていく「羊毛アート」は、私が最初に習った手しごとである。教室ではだいたい季節のイメージを羊毛アートで表現している。

ピンクの額に入ったものが一番最初に作ったもので、秋をイメージしたもの。その頃は、まだ授乳をしていたので、下のほうの小さなピンクの丸は、おっぱいをイメージしている。秋の空に浮かぶ雲も見える。

紺の額に入ったものが二番目に作ったもので、冬をイメージしたもの。先生が天使を見本として作っていたので、マネをして作ってみた。天使の羽を今にも飛び立つかのように、薄くふわっと広げるのがなかなか難しかった。濃紺の空もこの季節ならではの冷たい空気を表している。家では、神棚の近くに飾っている。

水色の額に入ったものが、先日作ったばかりのもの。春をイメージした。羊毛アートは、分厚く羊毛を重ねるよりも、薄く重ねたほうがニュアンスが出て繊細な印象になる。今回は、あれこれ足したい気持ちをぐっと抑えて、淡いピンクやグリーンやイエローをシンプルに薄く薄く重ねた。

羊毛アートをやっていると、心の中に漠然としてあった季節がふっと目の前に立ち現れてくるのがおもしろい。自分の心の中を鏡でのぞいたかのように、新鮮に映るのだ。

春をイメージした羊毛アートを見て、重くなったコートを脱ぎ捨て、少し軽やかになった自分を見た気がした。

2016年1月13日水曜日

一年中、中毒になりそうな予感のフォーシーズンズ

お正月に夫が借りてきた映画のDVD『ジャージー・ボーイズ』を観て以来、わが家ではフォーシーズンズの曲がヘビーローテーションで流れている。

『Sherry』『Big Girls Don't Cry』など、シンプルでフレーズが耳に残る陽気な曲は、息子も気に入ったようで、DVDの映像を流して親子で腰を振りながら何度も踊っていた。

息子はハーモーニーが好きで、「ハ~ハ~」など、ちょっと音程は狂いながらも、フォーシーズンズおじさんたちに混ざって、一緒に歌っていることもある。

体を動かしたくなる1歳くらいの子どもなら、きっとフォーシーズンズを好きになると思うので、子育て中の人がいたらぜひ聴かせてどんな反応を見せるか試してみてほしい。

私は、ビリー・ジョエルが好きで、結婚パーティーの入場曲では、『Up Town Girl』を使ったのだが、この曲が、フォーシーズンズの影響を受けてつくれれた曲だと知り、さらに好きになってしまった。

そう言われてみると、メロディラインの美しさや、ファルセットなどビリー・ジョエルの歌い方もフランキー・ヴァリに似ているなぁ・・・・・・・なんだか顔まで似ている気がする。















2016年1月12日火曜日

“清之”見物と買い物ついでに、新春・初お絵かき

きのうは、前にもこのブログでも紹介した、横浜発 おもしろい画家「中島清之 日本画の迷宮」展の最終日であり、最後にもう一度息子をベビーカーに乗せて観に行ってきた。

私は横浜美術館にこの展覧会を3回観に行ったので、今回はおさらい程度にささっと、清之おじさんに最後の挨拶に行った感じである。

パパが観に行った時に、息子へとお土産に買ってきてくれたポストカードと同じ絵を私よりも早く見つけた息子は、「キッキ、キッキー」と言いながら指をさして喜んでいた。このサルの絵は大きいサイズのもので、サルの毛並みがリアルに表現されていて本当に、サルの鳴き声が聞こえてきそうである。右側の母ザルに抱かれた、子ザルもかわいい。『和春』というタイトルがついていた。

横浜美術館もある、みなとみらい方面には、買い物へ出かけることが多いのだが、ついでに子どもを遊ばせて帰りたいと思うのが親心である。

あまり時間もなかったので、マークイズの館内のベンチに座り、持ってきたおやつをたべることにした。マークイズにはたくさん子どもを遊ばせられる場所が各階にいろいろあるが、1階にあるRHCというファッション雑貨を扱うお店に、キッズコーナーがあるのでそこへ連れていくことにした。

子ども用のテーブルとイスがあり、木のおもちゃやパズルなどが置いてある。大画面の液晶テレビには、スヌーピーのアニメが流れていた。すでに4~5人の子どもがいて満席状態だったが、スケッチブックの紙をもらって、クーピーでお絵かきをすることにした。

息子はまだガリガリと左右に直線しか描かないが、だいぶ言葉がしゃべれるようになってきたので、あれ描いてと指示をしてくるようになった。私は、息子の好きなゾウやキリンを描くことになった。息子よりも年齢が上のおんなの子たちに刺激されて、けっこう熱心に色を重ねていた。

今年の初お絵かきは、お店の中で完成した。1歳9ヵ月最後の日の記念の一枚となった。


2016年1月11日月曜日

何度目かの断髪

パパが休みだったので、息子の生まれて何度目かになる「断髪」を行った。まだ床屋に行けるほど、じっと座っていられないので、もっぱら家でのママカットである。

(断髪についての補足:わが家では、女の子に間違われる回数が増え、耳に髪があたってかゆがるようになったら、そろそろ髪を切ろうかというタイミングになる。「散髪」ではなく、「断髪」とあえて書いたのは、いいえ女の子じゃないんです!と断りを入れる意味での散髪だからである。)

本当はゴミ袋をかぶせて、服に髪が落ちないようにして切りたいのだが、拒否されてしまった。なので汚れるのを覚悟で、パジャマのまま断髪となった。

新聞紙を床に広げ、子ども用の小さな机といすに息子を座らせ、手前にはジャック・タチの『トラフィック』という車がいろいろ出てくる映画のDVDをかけて気をそらせる作戦をとった。

それでもハサミを見ると怖がりポロポロ泣くので、隣にパパに座ってもらいなんとかカットを始める。さらに大きい鏡をパパに手で持ってもらい、右側を切る時には、左側に鏡を移動させて息子の視線をそらせ、パチパチと髪を切るのだ。

手でよけようとしたり、急に動いたりするので、ついつい焦ってバサッと切りすぎてしまうのが悩みだ。ママカットは、なかなか難しい。

一番の難関は、”もみあげ”と“えりあし”。

自分の前髪を切るくらいしかしたことのない私は、ついつい直線切りをしてしまうので、いつもぶかっこうになってしまう。一応たてにハサミを入れてすいて、なじませようとは努力するのだが・・・・・・。

そうそう、子どもの髪の毛で不思議なのが、後頭部の一部の髪だけがチリチリに逆立ちこんがらがることだ。

保育園で働いていた時にも、時々マンガの『ドラゴンボール』に出てくる、スーパーサイヤ人のように髪の毛がチリチリ系になる子どもがいたなぁと思い出す。

息子は気に入らないことがあると、キーキー奇声をあげるタイプなので、髪がチリチリなるのかもしれない。自然現象のひとつとして、受け入れている。


2016年1月10日日曜日

雪の結晶に包まれて

横浜 山手の昔懐かしい「山元町商店街」の一角にある「greenpoint books & things」。古本や雑貨が大好きな私は、オープン当時から時々通っていたお店だ。

元写真店を改装した2階建ての古い木造のお店は、狭く急な階段をおそるおそる、ゆっくり上ると小屋のようでもあり秘密基地のようなギャラリースペースがあり、毎回訪れるたびにワクワクさせてくれる。

このギャラリースペースで、1月30日(土)まで開催中の「 Beige Snow Flakes 羊色の雪」展を息子と一緒に観に行ってきた。(※会期中は基本的に土曜日のみ営業とのこと)

展示は、画家の伴美里さんがお母様と一緒にされている編み物プロジェクト Chomo Chomoによるもの。

友人のズアン課 スズキチヒロさんが本のデザインを手がけ、画家の伴美里さんが身近にある100の好きなものをドローイングした『100Things in My Room.』(utrecht)というペーパーブックサイズの本を手に取ったのがきっかけで、伴さんに惹かれた私は、彼女の作品も出品されていた千葉の川村記念美術館の『静寂と色彩 : 月光のアンフラマンス』を観に行ったのだった。それが2009年なので、伴さんの作品を身近に観たのは7年ぶりということになる。
「greenpoint books & things」での展示では、伴さんの作品展示の他、Chomo Chomoの定番のベビーニットの展示販売も行っている。赤ちゃんのすべすべの素肌に似合う、やさしいニットの風合いとシンプルなデザインときめ細やかな編み目が美しく、見ているだけでうっとりしてしまう。

雪氷学の基礎を築いた中谷宇吉郎の記録から編み図を起こしたという、ウールの暖かな雪のオーナメントは、アクセサリーサイズのものから大きなものまであり、白壁に映し出されたシルエットの美しさも含めて、天上から地上に舞い降りてきて消えてしまう儚い雪の世界を、じっくりと堪能できる。

会場に置いてあった、『天然生活』の雑誌の中に、伴さんの編み物に関するインタビュー記事が載っていたのだが、お父様の体調がすぐれず家の中に緊張が走った時に、伴さんとお母様は、編み物に向かうことで心が静まったということが書いてあったのが印象的だった。

昔からある手しごとのひとつである、編み物。マハトマ・ガンジーの非暴力運動ではないが、女性が誰かのことを思いながら、黙々と手を動かし、美しさと静けさと平和をコツコツと編み上げていくことの、大切さをあらためて感じたのであった。




2016年1月9日土曜日

ついつい食べ過ぎちゃう、ノンバターの粉ものおやつ

子育てをしていると、すぐにお腹がすいてしまう。
お腹がすくと、イライラしていつもより余計に怒りがちになるので、おやつは重要だ。

息子のためにというよりは、自分のために、最近はノンバターの粉ものおやつをよく焼いている。ひとつは、なかしましほさんの「スマイルビスケット」。丸く型抜きをして好きな顔にできるのがおもしろい。全粒粉の香ばしさとメイプルシロップの甘さがよく合う。

もうひとつは、薄力粉とコーンミールとてんさい糖を使ったシンプルなスコーン。友達に教えてもらったレシピでは、豆乳を使っていたが私は牛乳でやっている。

スマイルビスケットとスコーンは、どちらともバターの代わりになたね油を使っているので、あっさりとしていて、サクッとした歯ごたえが楽しめる。

スマイルビスケットは、170度で30分。スコーンは200度で15分焼いたら完成だ。

1歳9ヵ月の息子は、お菓子を作っているのがわかると、我慢できなくなり「おコーン(スコーン)、イッケット(ビスケット)」と叫んで走り回り、すぐに食べさせてもらえないと泣きだしてしまうので厄介だ。

オーブンで焼き始めたら、気分転換に息子と散歩に出かける。ちょっと近所をぶらついている間にできてしまうので、ありがたい。

おやつを食べている子どもの顔は、幸せを絵に描いたようでほほえましくなる。

2016年1月8日金曜日

リアル版“どんぐりころころ”に親子ではまる!

去年のクリスマスに、ばぁばサンタにお願いしたのがアトリエモックというメーカーの木のオモチャ『くるくるスロープ』だ。

1977年発売のロングセラー商品らしい。木製の4色のボールと、4色の車と、連結車があり、スロープを上から下へ転がしていくというとてもシンプルな遊びだが、それぞれに走るスピードや落ちる時の音が違うため、飽きずに目で追って遊んでしまう。

親子教室に通っているシュタイナーの幼稚園では、これに似た木製のスロープがあり、殻に入ったクルミを転がして遊んでいるのだが、家では秋にたくさん拾った「どんぐり」が大活躍している。

ずんぐりむっくりとした大きめのどんぐりは、コロコロと不思議に回転し、時に止まりながら落ちてくるのがかわいらしい。どんぐりは、ひとつずつ転がすのもいいが、団体様で転がすのもにぎやかでおもしろい。止まってすぐつまるので、ボールや車を転がして後ろから押してあげるというワザもあみだした。

くるくるスロープの遊びは、童謡でおなじみの『どんぐりころころ』のリアル版といった感じだ。

1歳9ヵ月の息子は、童謡のCDに入っているこの曲が気に入り、歌が始まると他の遊びを中断してオーディオの前に駆け寄り、腰をふりふりしながら踊っている。今夢中になっているくるくるスロープの遊びと歌の内容がリンクして、自分の気持ちにぴったり寄り添う音楽がみつかったことがうれしいいのだろう。童謡の歌詞やリズムというのは、本当によくできているなぁと感心してしまう。

2016年1月7日木曜日

「ママじゃなきゃイヤ!」は本当か!?

よくある子どものセリフのひとつに「ママじゃなきゃイヤ! 」というのがある。

1歳9ヵ月の息子は、食事中にスプーンや食器を私に向かって差し出し、「ママー、ママー! 」と泣いてだだをこねたり、遊ぶ時に一緒にやってほしいと「ママー、いっしょに! 」と言ってせがんだりして、他の人が代わりにやろうとしようものなら、首を横に振ってイヤイヤする。

それを聞いたパパやばぁばは、「ママのこと大好きだから仕方ないよね~」などと言って、その場を離れようとするのだが、ママのほうも「そうよね~うふふ」などと、親バカで自惚れていられるうちはいいが・・・・・・。

毎日のことになると「それは、本当か!? 」と睨みをきかせ、突っ込みを入れずにはいられなくなる。

それでなくても、洗い物や洗濯、掃除や食事の準備などママにはやらなければいけないことが山とあるのだ。「これ以上、ママの仕事を増やさないでくれ! 」と思うのが普通の神経ではないだろうか?

冷静になって考えてみればすぐにわかる。育児の中でママじゃなきゃできないことなど、ほとんどないのだ。せいぜい、母乳をあげることぐらいだろう。

共働きで保育園に預けているような家庭は別だが、パパが仕事で日中外に出ていて、家でママが育児をしている場合は、子どもはママと過ごす時間が一番長いので、どうしても甘えの対象になりやすく、なつきやすいという、ただそれだけのことなのだ。

「ママじゃなきゃイヤ! 」という子どものセリフは、“なんとなくママに甘えたい気分”になっているだけで、実のところママじゃなくても大丈夫なことが多い。だから、世の中のパパはママに甘えている場合じゃないし、「やっぱりパパじゃダメなのか」などと、いじけている場合でもないのだ。

わが家のパパは、最近ようやく「パパもやりたいの! 」「ママは忙しいから、パパが抱っこしてあげるよ」などと言って、「ママじゃなきゃイヤ! 」を、だいぶかわせるようになってきたが、寝かしつけや歯磨きなどは、まだまだママ依存度が高い。ママがやるほうが早く済むのでついついやってしまっているというのが現実である。

まぁ、まぁ、そこは夫婦なので、育児もお互いに言い分があり、様子を見ながら“歩みよりつつ”というところだろうか。

子どもが言う「ママじゃなきゃイヤ! 」を真に受けて、一人で抱えすぎてしまっているママがもしどこかにいたとしたら、「イヤイヤ詐欺です、だまされないで! 」と言ってあげたいし、「それくらいパパにやってもらいなよ! 」と背中を押してあげたいのだ。

パパに“手伝ってもらう”という弱腰のスタンスではなく、“少ししずつおかませする”のが成功のコツである。パパが自主的に動きだしたら、子どもだって嫌な気持ちはしないだろう。“パパでもよかった”という成功体験を重ねることでしか、「ママじゃなきゃイヤ! 」をかわす近道はないのである。

「パパにやってもらえてよかったね~」と、パパの地位が向上するような言葉がけをママがしてあげるのもオススメである。

写真は、義理の妹が作ったミニュチュアの人形。インスピレーションで、すみれちゃんと名付けた。私に似ている感じがしてプレゼントしてくれたそうだ。茶箪笥の中にこの人形を見つけると、息子は「ママ! 」と指をさしてうれしそうな顔をする。なので、息子の前ではママ人形だということにしている。







2016年1月6日水曜日

水引飾りの美学

玄関に飾るお正月飾りが欲しいと、あちこち歩き回りようやくめぐり逢えたのが、てぬぐいのお店としておなじみの「かまわぬ」であった。

大きさは、大・中・豆の3種類あり、玄関用にと、私は一番小さい豆サイズを選んだ。デザインは、いろいろある中で末広がりで縁起のよい「ひょうたん」をモチーフにしたものにした。上部に輪になったひもがついているので、玄関に飾る以外にも、お正月用のお祝いの酒瓶などにかけるのもよいそうだ。

水引は、こより状の紙に水を引いて作られ、無垢で清潔なものという意味があり、水引を結ぶことで人と人、人と神を結ぶ願いが込められているという。

紅は太陽・魔除け、白は神聖・清浄を表している。

かまわぬの水引は、職人さんがひとつひとつ手作りしているそうで、シンプルながらも品の良いデザインに一目惚れして購入した。

自宅にある南天の実と、シダの葉と相性が良く、水引の赤が一段と映えて見えた。



2016年1月5日火曜日

はじめてのシウマイ

お正月にわが家を訪ねてくれた夫の友人が、手土産に崎陽軒の「特製シウマイ」を持ってきてくれた。

これまでに、シウマイ弁当は何度か食べたことはあったが、特製シウマイを食べるのは今回がはじめてだった。弁当に入っている通常の昔ながらのシウマイに比べると、帆立貝柱が多めに入っており、サイズも大き目なので豪華である。そのままでも食べられるそうだが、蒸し器で8分温めてアツアツのうちにいただく特製シウマイは、ジューシーで格別の美味しさだった。

いつも食べているママの小さな手作りシュウマイとは違い、大きくて豪華なシウマイに興奮した息子は、「うまい、うまい」と言いながら、立て続けに4個一気に食べてしまった。

崎陽軒のキャラクターとしておなじみの「ひょうちゃん」。昨年還暦を迎えたそうで、しょうゆさしも赤いちゃんちゃんこを着たものや金色のものが登場したそうだ。もうそのキャンペーンは終わってしまい、通常の青いひょうちゃんであったが、ほのぼのとした顔を見ると、それだけでおめでたい気分になれる。

私のお気に入りは、ひょうちゃんの小皿。息子の食事を取りわけたり、おやつのたまごボーロをのせるのにぴったりなサイズで重宝している。

2016年1月4日月曜日

出逢い運は、上々だ。

今日は伊勢山皇大神宮へ、毎年恒例の初詣へ出かけた。

神社へ着く手前で「今日はどうしているかな? 」と思っていた友人夫婦に偶然ばったり出逢うことができた。こういう“ばったり系”の出逢いは、時々あるのだが、新年早々なので縁起がいい気がしてとてもうれしかった。

何てことはない立ち話しながらも、お互いに元気な姿を見て声を聞けるというのは、何事にもかえがたい喜びがある。

伊勢山皇大神宮は、スーツ姿のビジネスマンなどで参道は混雑していたが、私たちは子連れでベビーカーだったので、車が通る側の別ルートを通り、階段で並ぶことなくショートカットしてお参りすることができた。

帰りになんとなく“初道草”したくなった私たちは、いつもと違うルートで近くの横浜 成田山の新本堂へと立ち寄った。ますに入った福豆にも心惹かれたが、かわいい絵の「おふどうさまこどもみくじ」が気になったので、1歳9ヵ月の息子に引かせてみることにした。

お金をチャリンと入れる動作は、スムーズにできたのだが、おみくじの箱に手を突っ込んで、好きなおみくじを一枚取るというのがなかなかできず、何度かチャレンジした。

息子の人生初めてのおみくじはの結果は「中吉」だった。

おべんきょう、おともだち、あそび、うんどう、ねがいごとなどの項目があり、おともだちの欄には「わがままをいわないようにしましょう」あそびの欄には、「ゲームのやりすぎにちゅういしましょう」など、現代的な注意も書かれてあった。

最後のおふどうさまのおしえには、「せんせいのおはなしをしっかりききましょう」とある。

私も忙しかったり、急いだりしている時に、ついつい息子や夫の話を適当に聞き流してしまっていることがあるが、今年はもうちょっと人の話をちゃんと聞こうと、おみくじのおしえにウンウンとうなずくのであった。



2016年1月2日土曜日

お決まりのコースがある喜び

わが家のお正月は、元旦に年賀状を受け取ってから私の実家へ行き、私たち三人家族と、両親と妹とでおせち料理を囲んで昼ごはんを食べることだ。数時間テレビを見ながらだらだらとしゃべり、昼寝をして何事もなく平和に過ごす。

2日の今日は、ご近所さんに新年のご挨拶をして、『いなり湯』さんへ初湯に出かけた。今日で2回目のおふろやさんだった息子は、機嫌よくパパと二人で入ってくれたので、私は久しぶりにゆっくり湯につかることができた。

おかみさんから可愛がってもらった息子は、初湯の記念にと、ビン牛乳をプレゼントしてもらった。腰に手を当てて飲めるようになるのは、もうちょっと先かな。

正月のお決まりのコースをつつがなくこなせることは、とても幸せなことだ。日々の小さな喜びをかみしめつつ、今年も過ごしていきたい。

クリスマスによく読んでいた『クリスマスまえのよる』の中で、サンタクロースは“ちいさなくちはほほえみをたたえていて”と表現されていたが、七福神など日本にも見ているだけで福々しい気持ちにさせられるものがいろいろある。

写真は、いなり湯の女湯にある「おかめ」さん。“ほほえむ=機嫌よくいる”ことは、簡単なようで難しい。福の源は外ではなく、いつも自分自身の中にあることを忘れないでいたいなと思うのだ。